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マリアの爪痕 19.話したくないこと 脱衣所を出て、濡れた鳶色の髪をタオルで軽く拭きながら、小さく欠伸を噛み殺す。 こんなに疲れたのは久しぶりだ。 ジェームズやリリーたちの提案した熱心な特訓計画により、クィディッチの練習を重ねる日々が続いているため、疲労感も一際大きなものになっていた。 だがそのおかげでハニーブラウンの髪を持つあの子は、片手で箒に乗ることを会得した。 きちんと片手でも箒を操縦することができると認識したときの、あの子の綻んだ笑顔が妙に思い出される。 青紫の淡い色彩は歓喜に揺れ、真っ白な肌を僅かに朱に染めて、彼女は恥ずかしげにお礼を言っていた。 思い出し笑いなんて我ながら悪趣味だなと自嘲しながら、リーマスはベッドへ向かう。 比較的彼のベッドの回りは整頓が行き届いているが、奥へ行けばそこにはもう足の踏み場など存在しない。 あるのは踏んだら確実に痛みを伴う道具類や、その持ち主らの衣服だけ。 いつも片付けるよう注意はしているのだが、何度言っても同じなら言う意味がない。 ベッドに横になり、天井を仰ぐと、リーマスはふと思いついたことを口にした。 「・・・・は、人と接することが苦手だよね」 「は?」 つい口から出てしまった言葉を聞きつけ、隣のベッドで読書をしているシリウスが首を傾げた。 その手に持たれている本はディスト・の出版した新作であり、が義父から誕生日プレゼントに贈られたものと同じだった。確か冒険小説だった気がする。 「そういえば、初めて会ったときは列車の中でも帽子をしてたっけ」 箒の乗りすぎで疲れ切っているのか、ジェームズはベッドに潜り込んだままそう言った。 ちなみにピーターはリリーとプラムのスパルタ特訓を受講しているせいか、最早夢の世界へと旅立っていた。 小さな寝息が聞こえる中、他の三人は話に没頭する。 「ああ、なんかすっげー瞳の色を気にしてた」 「そういえば、瞳を見られるのも苦手だよね」 「・・・・よほど見られたくない、んだよね?」 彼女は長い前髪でヴァイオレット色の瞳を隠し、その面は滅多に上げることがない。いつも俯いて、人の目を避けるようにして日々を過ごしている。 ひとたび瞳を覗き込もうとすると、それはそれは酷く驚かせてしまうのだ。 帽子を被っていたのも、いつも俯いて行動するのも、瞳の色を見られたくないがため、ということならば納得がいく。 ヴァイオレット色の瞳を持つ人間は極めて少ない。初めてあの瞳を見たときは、光の反射か何かかと疑いもした。 シリウスはその瞳を、自分でも驚くほど素直に美しいと思った。 だが、世の中にはその美しさを気味悪がり、冒涜したりする者もいる。先日出会ったスリザリン生の、リオン・ラヴェルのように。 「あり得るな」 「にとってあの瞳は、コンプレックスの対象なのかもしれないね」 「トラウマかなぁ?昔にも誰かに瞳を気味悪がられたとか?」 「そうかもしれないけど、それは本人に聴かないとわからないよ」 首を左右に振ったリーマスは苦笑した。 あまり彼女は自分のことを話したがらないし、それを無理強いしたいなどとは自分も考えていない。 それはリーマス自身も、自分のことを多くは語りたくないと思っているからだ。 親しい間柄にも、追求して良かったと安心することと、追求してしまってから激しく後悔することがある。 せっかく築かれた親しい関係に、亀裂を生むような真似はしたくない。 「・・いつか、から理由が聴けると嬉しいね」 本来ならば足先が出てくる方向に頭を出したジェームズが、にっこりと微笑んでいた。 この日のグリフィンドール寮は、祭にも似た騒がしさを纏っていた。 その理由は、本日行われた寮対抗クィディッチ杯にて、グリフィンドールがハッフルパフから初勝利を収めたからだった。 選手になれなかったことで気落ちしていたジェームズが果たして観戦に行くのか。 それが少し気がかりだったのだが、それはの杞憂に過ぎなかった。 「僕が生のクィディッチの試合を見ない?!そんなはずないさ!ありえないよ!」 気遣ったつもりで言った言葉がそんなふうに返されてしまい、は心からどぎまぎとしてしまったのだが、すぐにジェームズは悪戯っぽく笑って、「僕は器の大きな男なんだ」と茶化してみせた。 それは彼の元気が完全に取り戻されたことの証明に思えた。 「やあシルフ!良い試合だったね!!」 「ありがとう、ジェームズ」 グリフィンドールのシーカーを務めるシルフは、今回の試合で素晴らしい飛行を見せていた。 スピードよりはコントロールを重視しているのか、彼の飛行術は実に巧みだった。 相手のビーターが放つ容赦ないブラッジャーの攻撃を潜り抜け、風の妨害をものともせず、彼は見事スニッチを手にしたのだ。 薄茶の瞳を嬉しそうに細め、シルフはそこら中の生徒たちから英雄の扱いを受けている。 今ではすっかりジェームズに捕まってしまい、箒や飛行のことを話し込んでいた。 はそれを見つめつつ、リリーの座るソファの隣に腰を落ち着かせた。 「でも、こんなところで満足してないよね?」 すぐ近くに佇む二人の会話は、には丸聞こえだった。 ジェームズはにっと口元を吊り上げ、意地悪くシルフに問いかけている。 の隣ではリリーが「あの人、本っ当に性格が悪いわ」と軽蔑の眼差しを送っていた。 即座には否定の言葉が出てこなかったため、は心の中だけでジェームズに謝罪した。 すると少ししてから、くつくつと笑い出したシルフの笑い声が聞こえ、はそろりと二人を見上げた。 二人とも、とても爽やかな微笑を湛えている。 「ハハッ・・もちろん!次はスリザリン戦だし、今回のように上手くいくなんて思っていないよ。でもだからこそ、勝ち甲斐があるってものじゃないか。そうだろう?」 「ハハッ、そうだよね!ごめんよシルフ、僕ったらつい変なことを言ってしまって・・」 「気にしなくてもいいさ。俺は君みたいな面白い後輩がいてくれて嬉しいよ」 「僕も、素晴らしい先輩がいて嬉しい限りさ」 互いににこにこしながら固く握手を交わす二人の纏う空気に、何故か悪寒を感じた。 いつの間にか向かい側へと座っているシリウスとリーマスは示し合わせたように溜息を漏らしている。 どうやらもう、何も言いたくはないらしい。 「っ・・・・・リーマス・・?」 「・・ん、何だい?」 「具合、良くないの?」 ふと見つめたリーマスの顔は、普段よりも血色が悪い。 彼は元々顔色が良いほうではないが、今はいつもに増して健康が損なわれて見える。 突然問われた疑問に、リーマスは一瞬だけ呆けた後、すぐに微笑んで取り繕った。 「そんなことないよ。ただ、最近クィディッチの練習が多かったし、少し疲れてるのかも」 「そういえば、顔色が良くないわね」 「だったら早めに休んどけよ。お前確か先月も一日寝込んだだろ?明日は用事もあるんだし、休めるうちに休んどいたほうがいいぜ?」 明日は飛行術で初めて行うクィディッチの試合の日だ。そしてそれと同時に、リーマスが一時帰宅する日でもある。 なんでも母親の容体が芳しくないらしく、お見舞いに行くのだそうだ。 早朝すぐに発ってしまうとのことなので、明日はリーマスと顔を合わせることができない。 それがとても淋しく感じたが、同じくらいリーマスの体調も心配だった。 「・・リーマス、」 「・・・・わかった。じゃあ悪いけど、僕は先に寝ていようかな」 縋るような眼差しでが見つめたためか、リーマスは苦笑しながらもソファを立ち上がり、階段へと向かっていく。 「おやすみ」 「おやすみ。シリウス、、リリー」 「おやすみなさい」 「おやすみ・・・っ」 去り際に小さく手を振って、リーマスの姿は男子寮へと消えた。 |