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マリアの爪痕 11.チョコレート 夕食を食べ終わった後、はグリフィンドール塔に一番近い空き教室にいた。 正面に鎮座している机の上を不安げに見つめ、杖を構える。 その姿勢はぴんとしすぎていて、見るからに神経を張りつめていることが窺えた。 昨日約束したとおり、近くでその光景を見守っているリーマスは、がちがちに緊張してしまっているに穏やかに笑いかけた。 「そんなに緊張することないよ?」 「でも、なんか・・・・」 人の目があるというだけで、空気や雰囲気といったものは変わってくる。 リーマスに見守られているはずのこの状況を、ちゃんと呪文ができるかどうかを見張られているかのように感じてしまう自分がいた。 失礼にもほどがあるため、それをリーマス本人に言うことはできないのだが。 リーマスはそんなの気持ちを察してか、少しでも安心させようと彼女を諭し続けた。 「大丈夫。僕はただ見てるだけだから」 そんなに気になるなら、最初は席を外そうか?と聞いてくる彼を、は必死に引き止めた。 せっかく練習に付き合ってくれているというのに、それでは申しわけない。 やはり腹を決めて練習に専念するべきだ。 はなるべく肩の力を抜こうと心がけ、机の上の白い羽根を睨む。 「ウィンガー、ッディアム・レヴィオーサ・・!」 ぎこちないその杖の振り方と、落ち着きのない発音。 そして机上に飛び散る赤い燃えかすに目をやり、リーマスは腕を組んだ。 は「またやってしまった」というように沈んだ表情を見せる。 「っ・・私・・・やっぱり駄目なの、かな・・」 リーマスはその消極的な言葉を聞き、ローブのポケットに手を突っ込んだ。 やがてが目線を落とすと、そこには一枚の板チョコレートが差し出されていた。 もちろん差し出し人はリーマスで、彼は至極にこやかにの肩を叩いた。 「これをあげるよ」 「チョコレート?」 「そう、食べて。おいしいから」 板チョコレートを半分に割り、彼はにそれを手渡した。 そしてぱりっと軽い音を立てて、自分の分を言葉のとおりおいしそうに食べ始める。 リーマスの顔が本当に幸せそうに綻んでいるものだから、は控えめにチョコレートに歯を立てた。 口に入れた瞬間ふわっと広がるその甘さに、思わずの表情にも明るみが差した。 溶け出した甘味が、たちまちの心に何とも言えない幸福感を生む。 「ね、おいしいでしょう?」 「うんっ」 もう自分の分を食べ切ってしまったらしいリーマスは、がチョコレートの味に酔い痴れる中、幸せそうに微笑んだ。 無意識のうちに頬の筋肉が緩んでいた彼女は、それに笑顔の返事で答える。 リーマスは満足したように天井を仰いだ。 「チョコレートは、人を幸せにしてくれる。少なくとも、僕にとってはそう。食べればなんだか元気が出て、幸せな気持ちになれるんだ」 はまさにそのとおりだと、頷いて同意した。 中には甘いものを好まない人もいるけれど、少なくとも彼や自分にとってチョコレートは元気を与えてくれる素敵な食べ物だ。 以前談話室でもチョコレートをもらったことがあるが、どうやらその理由はチョコレートが彼の好物だったかららしい。 「・・僕もね、あまり自分に自信がなくて、よく落ち込んでいたんだ」 「え・・?」 「自分に絶望して、・・・とにかく元気がなかった」 急に暗い表情を見せたリーマスに、は大きな不安を覚えた。 確かにリーマスはいつも自信満々なジェームズとは違い、自分自身を誇示していることがない。 しかし、自らを絶望するほどの何かが、彼にはあったのだろうか。 思わず心配してしまうほど、今のリーマスは青白い顔をしていた。 「・・・リーマス?」 「でも・・チョコレートを食べると、少しだけ嫌な思いが消え去るんだ」 「・・・・・」 「少しだけ元気になって、リラックスして、また頑張れるようになる」 窓の外から覗く黒い空を見ながら言ったリーマスは、どこか儚げな陰を纏っていた。 本格的に心配になってきたは、何か声をかけようと試みるが、やはりそれは言葉にはならない。 リーマスの纏う陰の全貌を知ろうとするには、まだ自分は彼に近づき切れていない気がした。 聴いてしまえば、彼の中の何かを壊してしまうように感じた。 それは自分の中にあるおぞましい存在と、彼の陰を重ねて見てしまったからかもしれない。 しばらく続いた沈黙の中、は手に持っているチョコレートを見つめてぼーっとしてしまった。 「・・・とにかく、君にとっても元気をもらえるものだったら嬉しいな」 リーマスが言ったように、チョコレートはにも元気を与えてくれたようだ。 先ほどよりは肩の力が抜けるし、なんだか心が軽くなったように思う。 彼の言葉や儚げな笑顔の裏に隠されているものは気になるが、無理に話させることもない。 ただの杞憂に過ぎないかもしれないのだから。 そう思うことにして、はリーマスに向き直った。 「もらえたよ。チョコレートにも、リーマスにも」 「僕?」 「うんっ。だって、一緒に練習してくれるのも、チョコレートをくれたのもリーマスだから」 「・・・・そっか」 「そうだよ!・・私、もう一回やってみるね」 もう一度杖を取り出し、それを構える。 その背を見ながらリーマスは、彼女の言葉から感じたほんの少しの熱を胸に抱いた。 甘くほろ苦いチョコレートのように、この渇いた心を満たしてくれている。 彼女からは、あたたかい気持ちをもらえたような気がする。 はすっと深呼吸をして、なるべくはっきりと呪文の言葉を発した。 「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」 すると、机の上で静かに横たわっていた羽根が、ふよふよと浮かび、舞い上がる。 白い羽根は何度か宙返りを繰り返し、の操るがままとなった。 あまりの感動に目を見開き、は杖腕を震わせる。 ふいにその腕を後ろからリーマスが支え、彼女の腕をゆっくりと上下に動かした。 羽根は杖の向ける方向へ、自由自在に舞い踊る。 「ほら、言ったろう?」 君はできそこないなんかじゃないって。 柔らかい声音が耳朶をくすぐって、視界にはあちこちを舞う一枚の白い羽根。 は自分の成功に歓喜の笑みを浮かべた。 できた。私にもできたんだ!そう実感しただけで、思わず飛び跳ねたくなるくらい嬉しかった。 少ししてから杖腕を下ろしたは、後ろを振り返ってお礼を言った。 「ありがとう、リーマスっ」 本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた彼女に、リーマスも笑顔で応えた。 初めてまともに呪文を使えた喜びは一入なのだろう。 呪文学はおろか、闇の魔術に対する防衛術、変身術などでもは呪文の成功率が悪かった。 だからこそ、この成功は彼女にとっての第一歩なのだ。 これを機に自信を身につけ、他のことでも喜びを知ってほしい。 「僕は何も・・・ただ君にチョコレートをあげただけさ」 そう言った彼の微笑みには、あの儚さを感じなかった。 |