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マリアの爪痕 09.魔法薬学 魔法薬学の授業を行う地下牢教室には、たくさんの怪しげな薬品や魔法薬の材料が陳列している。 棚を見上げれば嫌でも目を合わせてしまう、気味の悪い動物のホルマリン漬けやおかしな色の昆虫たち。 はこういった類のものを見るのが好きなわけではないが、特に苦手とも感じなかった。 大鍋を覗き込みながら半泣きになって虫を嫌がるモニカを見て、つい昔の自分を思い出す。 幼い頃の自分は虫が大嫌いで、よく義父に泣きついたものだ。 まさに今、モニカがプラムに抱きついているのと同じように。 「いやーーー!!」 「・・・モニカ、もういいから離れてちょうだい・・」 がたがたと震えるモニカを振り払い、プラムが苦労して角ナメクジを大鍋に投げ込んでいる。 今回調合する魔法薬は、最も初歩的な"おできを治す薬"だ。 は作り終わった液体を小瓶に流し込み、慎重に蓋を閉めた。 「まあ、もう作り終わったの?」 「うん・・・一応。でも失敗してる、かも」 なんとか順調に調合できたものの、今まで魔法薬を作った経験もなく、成功という奇跡を感じた経験も少ないは、何度も何度も小瓶を見つめてはそわそわと周りを見渡した。 もしこれを提出して、失敗してしまったら?また失望されたら? そう思うと、なかなか提出に行くタイミングが掴めなかった。 小瓶を持ったまま突っ立っていたの背後で、ふいにシリウスがその華奢な肩を叩いた。 「色とか臭いに問題もないし、大丈夫だろ」 「あ、シリウス・・っ」 「大丈夫だって。俺が一緒に出してきてやる」 の戸惑いなどお構いなしに、シリウスはぱっとの手から小瓶を取り上げ、歩いていってしまった。 リリーが声を上げかけたが、彼は既に魔法薬学教授であるホラス・スラグホーンに二人分の小瓶を提出してしまっていた。 ぎょっとしたは、急いでシリウスとスラグホーンの所まで駆け寄る。 「おや、もうできたのかね?」 「はい。俺とこいつの分です」 「し、シリウス・・!」 「ほっほう!どれどれ・・・」 最初にシリウスの小瓶を見つめたスラグホーンは、それはそれは嬉しそうに目を細めた。 シリウスは当然だというように腕を組んでに笑って見せる。 その得意げな面持ちに、は少しだけ笑った。 だがシリウスのその表情は、次に聞こえたスラグホーンの言葉によって掻き消えてしまう。 「うむ、結構!実にいい出来だ。さすがはブラック家の――」 「そりゃどうも。それより、こいつのを見て下さい」 "ブラック"と聞いた途端、シリウスは一気に表情を険しくさせ、最後まで言葉を聞こうとしなかった。 はそんなシリウスの不機嫌な態度に疑問符を浮かべるが、それよりも今は自分の作った薬の評価が気になる。 スラグホーンは自分の言葉が最後まで聞いてもらえなかったことに少しむっとしていたが、すぐにの小瓶をしげしげと見つめ始めた。 どきどきとがその姿を見守る中、スラグホーンの顔はみるみる輝いていった。 その様子に、ついもシリウスも唖然としてしまう。 「素晴らしい・・・実に素晴らしい!!」 「・・・・え?」 大声でそんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。 は最初、スラグホーンが何を言っているのかもわからなかった。 気付けば、教室中の生徒たちが自分たちに注目している。 すっかり興奮しているスラグホーンの大声のせいだろう。 はすぐに教室の端まで逃げたくなったが、隣にいるシリウスがそうはさせてくれなかった。 「とても良い出来だ!完璧と言ってもいい!君の名はえーと・・何だったかな?」 唐突に話しかけられたは、口を開いても声が出てこない状態だった。 スラグホーンは二人の真正面に立ち、長いセイウチのような髭が、今にも顔に当たりそうな距離だ。 おたおたとするを見かねたシリウスは、代わりに簡潔な返事をした。 「・です」 「っ?・・まさか君は、あのディスト・の娘なのか!?」 目の前で問い詰められ、はこくこくと頷いた。 みんなの注目を浴びる中では、それが精一杯の反応だった。 一方、雷にでも打たれたような衝撃を受けているスラグホーンは、小太り気味の腹を何度も擦りながら熱っぽく語り始める。 「、彼のことは忘れもしない!繊細で緻密な魔法薬を調合するのが得意な生徒だった!彼がいたのは私の寮ではなくグリフィンドールだったが、それでも私の大のお気に入りだった。彼は今、元気にしているのかね?」 「・・・・あ、は、はい・・」 「そうか!いや、彼は考古学者だ。いつもあちこちに飛び回っているから、なかなか卒業後の連絡がつかなくてね。たまに手紙をくれたが、娘がいたとは知らなかった。それにしても・・血は争えん。父親の良いところをしっかり受け継いだのだね」 思い出に浸るように話し続けたスラグホーンはの両肩を叩き、明るい口調で彼女を褒めちぎった。 隣ではシリウスが呆然としてしまっている。だがそんな彼と同じくらい、自身も呆けていた。 まさか、自分が先生に褒められる日が来るなんて。 いつも何をするにも失敗ばかりだった自分に、こんな特技があったなんて。 何度か瞬きをした後、少しずつ表れ始めた恥ずかしさに頬を染め、は席へと戻った。 スラグホーンはまだ何か話したげな顔をしていたが、それは丁重に断わる。 これ以上あの場所で好奇の目に曝されるようなことはしたくない。 そそくさと自分の席へ急ぐと入れ違いに、ジェームズとリーマスが薬の小瓶を持ってスラグホーンの所へ向かっていた。 「やったね、!すごく褒められてたじゃないか」 「うん。魔法薬学が得意だなんて、羨ましいや」 「そ、そんな・・」 「謙遜しなくても、お前の実力だろ。素直に褒められとけって」 三人が口々に自分に温かい言葉をかけてくれ、は小さく微笑んだ。 その後の話によると、ジェームズが薬の提出に出遅れた理由は、魔法薬学には向いていないことが判明したリーマスにあったらしい。 なんだかそれはとても意外に思えたが、リーマスを指導していたジェームズの顔が疲れ切っていたこともあり、信憑性が高まった。 どうやらリーマスは、魔法薬を煎じることが苦手らしい。 今もリリーがピーターに調合の方法を教えるのに苦労しているが、ジェームズもきっと同じような苦労をしたのだろう。 何にせよ、初めて先生に褒められたは、心からそれを喜んでいた。 人に認められたり、褒められたりすることがこんなに気持ちのいいものだとは知らなかった。 今までは呆れられたり、哀れみの目を向けられたりしてきたのに。それがさっきはまるで違う反応をしてくれた。 は気恥ずかしさと嬉しさの板挟みに遭い、席に着いた後も、明るい表情で後始末をすることができたのだった。 その魔法薬学の時間が終わり、はリリーと並んで地下牢を出た。 だがその刹那、突如足元に現れた箒の柄が足首を打ち、はその拍子に扉の先でバランスを崩してしまった。 「きゃ・・っ!」 「!」 派手な音を立てて前方に倒れ込んでしまったは、ばらばらと手から荷物を取り零し、膝を擦り剥いた。 すぐさまそこへ駆け寄ったリリーは、の体を助け起こし、そして扉の横に佇んでいる琥珀色の瞳を睨んで怒声を放った。 「貴方っ、いったいどういうつもりなの!!」 「ああ、すまないね。魔法の練習をしていたら、偶然君の足に当たってしまって」 薄ら笑いを浮かべながらを見下ろしていたのは、昨日出会った少年、リオンだった。 今日の魔法薬学はスリザリンとの合同授業であり、彼の姿は教室に入ったときから認識していた。 は思わず肩を震わせ、深く俯く。 弱者の反応に満足するかのように、リオンは取り巻きの生徒たちとともに笑い声を上げる。 リリーは小声で「なんて人たちかしら!」と悪態を吐き、一刻も早くを連れてその場を去ろうとした。 「大丈夫?・・」 「うん・・、平気。ちょっと擦り剥いただけだから」 そうしてスリザリンの生徒たちに背を向けたときだった。 背後から何人かの悲鳴が上がり、その中にはリオンの声もあったように思う。 とリリーが後ろを振り返ると、そこには勝ち誇った笑みを浮かべて杖を握っているジェームズとシリウスの姿があった。 しかもそのすぐ近くには、顔を押さえて悶えているリオンたちがいる。 彼らが何をされたのかを予想したは、息を呑むピーターの声によって、自分の膝から血が出ていることに気がついた。 「、膝が・・」 「だ、大丈夫!痛くない・・!」 「そういう問題じゃないよ。医務室へ行って、すぐに消毒してもらおう」 「そうよ!早く行きましょう、!」 血が出ていると認識した今、はぴりぴりとした擦り傷の痛みを感じていた。 廊下を過ぎるときにちらりと後ろを振り返ると、そこには酷いニキビを負ったリオンの顔が見えた。 なんだか少し申しわけない気持ちになるが、自分は彼に転ばされたのだ。 それを考えれば、まさに自業自得なのだろう。 しかしリリー曰く、「魔法をあんなことのために使うなんて信じられない!!」とのことだ。 の姿が見えなくなったところで、ジェームズはリオンと初めて口をきいた。 リオンは膨らんだニキビを手で覆い、忌々しそうに二人を睨みつけている。 「やあラヴェル。僕たちのお姫様を苛めた報復を受けた気分はどうだい?」 「さぞや気持ちのいいものなんだろうな」 皮肉たっぷりにそう告げた二人に対し、リオンの反応はいかにも悔しげだ。 「とても最悪なくらいにね」 「それはよかった」 「だけど、君たちもよくあんなできそこないと付き合っていられるよ」 「できそこない?」 「ああ。僕にはまったく理解できないね」 皮肉に悪態で返してきたリオンの言動に、ジェームズとシリウスの顔が厳しく顰められる。 今彼が口にした単語が、どうしても自分たちには納得のいかないものだったからだ。 侮蔑を含んだその言葉を許せるはずもない。 次の瞬間、シリウスはリオンの緑色のネクタイを掴み、そのまま壁へと叩きつける。 ジェームズは杖を真っ直ぐリオンの顔に向けていた。 「のことを言ってるのか?」 低く唸ったシリウスの語気には、激しい怒りが孕まれている。 だがリオンは臆することなく、琥珀色の瞳でシリウスの灰眼を睨み返した。 「本当のことを言って、何が悪いのさ」 シリウスの腕を跳ね除け、吐き捨てるようにそう言った。 今度こそシリウスも杖を取り出すが、リオンはそのまま引き下がった。 「生憎、僕はいらない喧嘩は買わない主義でね。そもそも、こんな下らないことに時間を割きたくない」 淡々とそう言ってのけた彼は、取り巻きの生徒たちを連れ、そのまま地下牢へと戻っていった。 きっと今作ったばかりのおできを治す薬を分けてもらうため、スラグホーンの許へ行ったのだろう。 ジェームズとシリウスは杖をしまい、どちらからともなく互いに視線を合わせた。 見合った自分たちの顔には、深い苛立ちの色が見えた。 「を愚弄した挙句、この僕たちに啖呵を切るとはね」 「ああ・・・・・絶対いつか後悔させてやる」 二人は一瞬だけニヤッとした笑みを見せ、素早い足取りで医務室へと向かった。 |