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マリアの爪痕 08.青紫の瞳 まだ新しい呪文学の教科書と、一枚の白い羽根を睨みながら、は絶望の中にいた。 自分のことでこんなにも腹立たしい気持ちになるなんて。 呪文学で初めて習ったのは、ウィンガーディアム・レヴィオーサの浮遊呪文だった。 最初呪文を習ってすぐに羽根を浮遊させたジェームズとシリウス、そしてリリーの三人は、寮の得点を一人五点ずつもらっていた。 今日は呪文を習ってから三時間目の授業であり、もうほとんどの生徒が羽根の浮遊に成功している。 の隣の席ではプラムが羽根を三枚同時に宙へと浮かばせていたし、ピーターでさえ数センチ羽根を浮かばせていた。 だがの羽根は、どんなに呪文を唱えて杖を振っても、一向に宙を舞ってはくれなかった。 その代わり、柔らかな羽毛は杖先から飛び出る火の粉によってぶすぶすと焦げていく。 どうしてかはわからないが、の杖からは火の粉が出てきてしまうのだ。 「、次の時間はきっと成功するわ」 リリーは前の授業の終わりにも同じことを言っていた。 今日最後の授業を終え、呪文学の教室にいた生徒たちはぞろぞろと廊下へ出ていく。 もうすぐ夕食の時間となるため、生徒たちの顔色は明るいものが多い。 そんな人たちとは対照的に、には食欲なんてこれっぽっちもなかった。 自分だけが成功しないことに、焦りを感じてやまない。 飛行術のこともそうだが、は自分が他の人と比べて劣っているようにしか思えなかった。 それがとても辛いし、そして悔しくて堪らない。 「?早く寮に帰って、夕食へ行きましょう?」 「リリー。私、少し練習してから行く」 「そう・・それなら、わたしも一緒にいるわ!」 「っううん、本当に少しだけだから、先に行ってて」 リリーの申し出はとてもありがたいものだったが、夕食の時間に遅れさせてしまうのは申しわけない。 は平気だよ、と少し笑顔をつくって見せる。 心配した顔で扉の先にいたリリーは、何度も「本当にいいの?」と振り返りながら、渋々寮へと帰っていった。 リリーの姿が見えなくなり、広い教室には自分一人だけになる。 さっきつくった笑顔はもうどこにもない。 一瞬にして暗くなった表情と共に肩を落とし、は静かに椅子に腰かけた。 大きな溜息を吐こうと息を吸ったそのとき、扉のある方向から足音がしたことに気付く。は扉へと視線を向けた。 そこには緑色のネクタイをした、暗いダークブロンドの髪の男子生徒が立っていた。 立っているだけだ。何かを言われたわけでもないのに、は体を畏縮させた。 それは彼の唇がいやらしく吊り上がっていたせいかもしれない。 「君は確か・・、だったっけ?」 「・・・・そう、だけど・・」 「君のことはよく覚えているよ。さっきフリットウィック先生に呆れられていただろう?それに、よくスクルド先生にも注意を受けている」 最後まで呪文を成功させられなかったに、フィリウス・フリットウィックはとても呆れていた。 浮遊呪文は基本的な魔法であって、決して難しいものではない。 だがはそれを習得することができず、一緒に授業を受けていたスリザリンの生徒たちにくすくすと笑われていたのだ。 スリザリン生の男の子は、優雅な足取りでとは離れた席に向かい、机の中からノートを取り出していた。 どうやら忘れ物を取りに来たらしい。 は泣きたい気持ちを抑え、早く男の子が教室を去ってくれることを願った。 「・・・君はディスト・の娘なのかな?」 「・・・そう、です」 「あの有名な考古学者の娘がこれとは、ね」 初めからそうとわかっていたような雰囲気で彼は話し出した。 そしての肯定の返事を聞き、途端に侮蔑の表情を見せる。 彼のそんな冷たい表情を見たくなくて、は床を見つめ続けた。 これからどんな言葉を浴びせられるかが、なんとなくわかってしまったからだ。 「親の面汚しとは、まさにこのことかな?それよりも、魔法族の面汚しって言い方のほうが正しいかもね」 「っ・・」 は目にじんわりとした痛みと熱を感じ、膝小僧の辺りをぎゅっと握った。 なんとか言い返したいとか、そういう気持ちはあまり大きくない。 それよりも、彼が言ってることは事実なのかもしれない。そう思ってしまった。なんて自分は弱い人間なんだろう。 「君のようなできそこないがいると、他の純血の魔法族にも迷惑なんだ」 「僕や彼女からすれば、君のような人のほうがずっと迷惑だ」 突如割り入ってきた男の子の声は、いつもと違って冷たい何かを含んで聞こえた。 は俯いていた顔を上げ、目の前にまでやってきた鳶色の髪を瞳に映す。 思わず零れそうになった雫を手の甲で拭い、嗚咽を殺した。 表情を険しくしたリーマスが、スリザリンの男子生徒と睨み合うようにそこに立っている。 男子生徒はリーマスの登場に驚いていたように見えたが、取り乱すことなく席を離れた。 「ルーピンだったかな?ポッターやブラックの陰にばかりいるから、なかなか覚えられなくてね」 「それでも覚えてもらえて光栄だね。そういう君は・・・誰だったかな?」 リーマスの棘のある口調に、は少しどきりとした。 普段の温厚な彼なら、絶対にこんな話し方をしないだろう。それくらいリーマスの口調は冷めていた。 対する男子生徒はぴくりと眉を顰め、琥珀色の目でリーマスを睨んだ。 「僕はリオン・ラヴェル。覚えてくれなくてもいいけど、知らないのは世間知らずだ」 「そう、だったら覚えておくように努力するよ」 自分を知らないことがそんなに心外なことだったのだろうか。 リオンは明らかに苛立った態度を見せ、とリーマスに背を向けた。 そのときほんの一瞬、リオンがのヴァイオレット色の瞳を見据えた気がして、はびくりとした。 こつこつと彼の足音が遠ざかるとともに、小さな呟きが聞こえる。 「・・・・・気味の悪い目だ・・」 教室の扉が閉められ、リオンがいなくなる。 扉を睨んだ後にリーマスがを振り返ると、彼女は既に泣いていた。 俯いているその横に跪き、彼女の泣き顔を見つめた。 何度も彼女は目を擦って涙を拭うが、青紫の双眸からは幾つもの透明の雫が流れ出し、白い頬をつたっていた。 やがてリーマスはそっとハンカチを取り出して、その涙を優しく拭った。 「・・・」 「私、・・・みんなと違って・・落ちこぼれ、っだから」 飛行術で上手く箒に乗ることができなかった。 先生の質問にも満足に答えられない。 簡単なはずの呪文もろくに使えない。 周りの人々が成功し、前へ進んでいく様を、自分は見ていることしかできないのだ。 こんな自分を、落ちこぼれと言わずに何と呼べるだろう。 「あの人に、ああやって・・・・言われるのも・・っ」 「仕方ないって?」 リーマスの問いに、は小さく頷いた。 ぱたりぱたりと、涙が床に落ちる。 そのとき、上目遣いに自分の顔を覗き込むリーマスの手が、濡れた頬を包む。 「。君は落ちこぼれなんかじゃないよ」 ふと気づいたときには、リーマスの瞳がの瞳を捉えて放さなかった。 視線を逸らしたくてしょうがないのに、彼は有無を言わせない。 優しいけれど強い語気で、彼はを諭すように話を続けた。 「箒は練習してすぐ乗れるようになったし、スクルドの質問だって、本当なら答えられただろう?今日の呪文だって、もっと練習すれば、ちゃんとできるようになるんだ」 「でもっ」 「できるよ」 断言するリーマスの目に射貫かれ、は否定の言葉を発することができなかった。 真摯な眼差しは、に戸惑いと期待とをない交ぜにして与える。 嗚咽を漏らしながら何度も瞬きをし、自信のない声で問いかけた。 「ほんと・・に?」 おずおずとリーマスを見つめるヴァイオレット色の目が、少しだけ涙を止めている。 リーマスは目元を和ませ、に微笑んだ。 「本当だよ」 一通り涙を拭い終わり、ハンカチを手渡すと、リーマスはの手を握って言った。 「明日、一緒に練習しよう?」 ちゃんとできるようになるって、証明してあげるから。 その言葉を聞いて、は手を引かれるまま立ち上がった。 嬉しさで心が満たされ、自然と顔が綻んだ。目は赤いままだが、もう涙は零れていない。 の表情が明るさを取り戻したことに安堵し、リーマスはと手を繋いだまま、もう片方の手での鞄を持った。 「そういえば・・リーマスは何でここに?」 「君が夕食に遅れるって聞いて、迎えに来たんだ」 「・・・わざわざ、来てくれたの?」 「うん。僕もリリーもジェームズたちも、みんな君と一緒にいたいからね」 「っそっか・・」 「あ、それとね・・」 「・・・・?」 「君の瞳は、綺麗だよ」 手をきゅっと優しく握られ、は言いようのない喜びを感じた。 また少しだけ自信が湧いてきたような気がする。 少し照れているのか、リーマスの頬がほんのり赤い。きっと今の自分も同じ色で頬を染めているのだろう。 はありがとうの気持ちを込めて、リーマスの手を握り返した。 |