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マリアの爪痕 01.真紅の汽車にて 私は私が世界で一番大嫌い。泣き虫で臆病な性格も、瞳の色も、身体に流れる忌まわしい血も、自分の何もかもが大嫌い どうして私だけがこんなふうに生まれてしまったの?どうしていつも怯えなくてはならないの?何度問いかけたって、誰も教えてくれないわ だから私はただ泣くことしかできなくて、ずっとずっとひとりぼっちだと思っていたの は深くキャスケットを被り、足早にプラットホームを抜けて九と四分の三番線へ向かっていた。なるべく下を向いて、荷物の入ったトランクの柄をぐっと握る。煉瓦の柱の中央を迷うことなく突っ切れば、出発の準備を整えている大きな真紅の汽車が視界に映った。 今からあれに乗って、ホグワーツへと向かうのだ。そして組み分けをして寮に入り、七年間をそこで過ごす。学校生活で友達をつくって、遊んで、たくさん勉強して、ようやく卒業。そんな普通の未来も、自分にとってはとても気の遠くなることにしか思えなかった。 ホームには何人かの生徒や、その家族の姿がちらほらと見受けられる。 現在の時刻は十時。汽車が出発する一時間前だ。 人がまばらにしかいないのは当然で、の狙い通りのことだった。 「・・っ、ごめんなさい・・!」 「・・・いえ」 相変わらず下を向いて歩いていたので、ふいに目の前にいた黒髪の男の子に強くぶつかった。すぐさま謝罪し、怒気のない相手の様子を確認する。だが男の子はに顔を見せる間も与えず、そのまますぐに立ち去ってしまった。 しばらく罪悪感に肩を落としたものの、そそくさと汽車に乗り込んだは、小さなコンパートメントの一番奥へと腰かけた。 もしかしたら、後々他の生徒が入ってくるかもしれない。そう思うと、胃の中がずしりと重たくなった。だが、もしコンパートメントへの入室を断ったりしたら、きっと嫌な顔をされてしまう。 人との交流はなるべく避けるべきだ。しかし、だからといって誰かに嫌われたいわけじゃない。嘆くように溜息を零し、矛盾した思いを逡巡させていたら、いつの間にか襲ってきた睡魔によっての意識は手放された。 車窓に頭が擦れて、汽車が揺れているということをぼんやりと認識した。そして朦朧とする意識の中で、よく通る可愛らしい声が耳に入る。 「ねぇ、そこに座ってもいいかしら?」 は再び伏せかけていた瞼をぱっと見開き、声のしたコンパートメントの入り口を見やる。そこには真っ赤な髪を靡かせ、愛らしい緑色の瞳を覗かせる女の子が立っていた。 寝てしまっていた自分に気がつき、は青い顔で視線をさ迷わせた。まさか何の心の準備もないまま人に話しかけられるとは思ってもいなかったのだ。だがいつまでも彼女を立たせておくわけにもいかない。必死に鼓動を落ち着かせ、はようやく返事を返した。 「・・ど、どうぞ」 「ありがとう!セブ、席を見つけたわ」 よく見れば、彼女の後ろには一人の男の子が立っていた。 少し血色の悪い土気色の肌に、肩にかかる重そうな黒髪が特徴的だ。お世辞にも健康そうとは言えない。そして彼は既にホグワーツの制服に身を包んでいた。 しかもその表情は険しく、セブと呼ばれた少年はを睨むようにして正面へ腰かけた。 「わたし、リリー・エバンス。こっちはセブルス・スネイプ。 今年からホグワーツに入学するの。貴女は?」 隣に座ったリリーに自己紹介され、は帽子を深く被り直す。人前での自己紹介なんて初めてのことで、上手く舌が回らないかもしれないと不安になった。だが、リリーの期待に満ち溢れている澄んだ緑の瞳を見ると、とてもじゃないが断れない。 「・・。私も、一年生」 「本当にっ?嬉しい!汽車に乗って初めての友達が同じ一年生だなんて!!」 はリリーの言葉にぎょっとした。彼女は今、自分を「友達」と呼んだのだ。ぱちぱちと何回も瞬きをして、友達という温かい言霊を頭の中で繰り返した。 私が、友達。 今初めて会ったばかりで、言葉だってろくに交わしていない。それでもリリーは確かに自分を友達と呼んでくれたのだ。 は心に流れ込んでくる嬉しさに、つい口元を緩めてしまう。 「わたしのことはリリーって呼んでくれて構わないわ。その代わり、わたしもって呼ばせて?」 「い、いいよ」 「もう、そんなにぎくしゃくしないで。今からわたしたちは友達よ?そんなふうに緊張することないわ」 リリーは安心させるように、に微笑んだ。それがとても可愛く見えてしまい、きっと彼女はたくさんの目を惹く存在になるのだろうと思った。 しばらく汽車に揺られていると、リリーは女の子さながらの調子でお喋りを続けた。は不器用に頷いたり、小さく相槌を打ったりして、話に耳を傾けた。 どうやらリリーはマグル出身で、魔法界にとても興味を持っているようだ。もちろん、これから向かうホグワーツへの興味も尽きない様子が伺える。 「はどこの寮に入りたいの?」 「え・・?」 「ホグワーツには四つの寮があって、必ずどこかの寮に所属するってセブに聞いたわ」 話に出てきたセブルスはというと、女同士のお喋りなんかに付き合う気は毛頭ないらしく、静かに読書をしている。 は記憶を辿って、四つの寮の名前と特色を思い浮かべた。 グリフィンドールは勇猛果敢な者が住う寮。 ハッフルパフは心優しく真っ直ぐな者の寮。 レイブンクローは勤勉で高い知性を持つ者の寮。 スリザリンは狡猾で気高い者の集まる寮。 義父に教わったホグワーツの四寮を思い出し、は頭を捻った。 入りたい寮なんて考えていなかった。 に至っては、ホグワーツへ入学できるかさえも怪しいものだったのだ。 自分はどこの寮へ入れるのだろうか? 人には向き不向きがある。けれどは自分の向き不向きがよくわからなかった。 「・・わ、かんない」 「え?寮の名前を知らないの?」 「ううんっ・・・・どこに入りたいとか、考えてなかった」 「まあ、そうなの?」 リリーは少し驚いたような顔をして、今度はセブルスへと視線を移した。 「セブったらね、ずっとわたしに『スリザリンに入ったほうがいい』って言ってくるの。でも、寮なんか関係ないわ。どこの寮へ入っても、勉強する内容に変わりはないもの」 だから、どこへ入っても大丈夫。そんなことを言われた気がして、はまた頷いた。 「・・そういえば、はどうしてずっと帽子を被っているの?」 リリーに問いかけられ、はっとした。とうとうその疑問を口にされてしまい、は言葉を詰まらせる。たしかに、汽車の中でまで帽子を被っている生徒は自分くらいだろう。 は視線を泳がせながら、何か良い言いわけはないかと言葉を探した。しかし、なかなか口を開こうとしないを不思議そうに見ていたリリーが、口を開きかけたときだった。 「あれ?さっきの彼女に、スニベルスじゃないか」 急にコンパートメントの戸が開かれ、二人の男の子が姿を現した。 話しかけてきたほうの男の子は、くしゃくしゃな黒髪が特徴的で、眼鏡の奥のハシバミ色の瞳が少し悪戯っぽい笑みを浮かべている。 その傍らに立っている黒髪の男の子は、灰色の切れ長の瞳でコンパートメントの中を見回していた。 は運悪く、正面に座るセブルスの眉間の皺が増えた瞬間を目の当たりにしてしまった。・・嫌な予感がする。 「へぇ、女の子二人と一緒だなんて羨ましいね!スニベルス」 「僕はスニベルスなんて名前じゃない!」 「ちょっと、勝手に入ってこないでちょうだい」 「べつに、ただ通りかかったところを話しかけただけだろ?」 にこにこと爽快な笑顔を見せる眼鏡の少年は、リリーの言葉を無視して空いているセブルスの隣へと腰かけた。黒髪の少年はというと、ちゃっかりコンパートメントの入り口に背を預けて立っている。どうやら、しばらくここに居座る気のようだ。 「ねぇ、キミの名前を教えてよ!あ、僕はジェ−ムズ・ポッター、一年生さ。よろしくね」 ジェームズは握手を求めたが、リリーはその手をぱちんと叩いて振り払った。 「リリー・エバンスよ。わかったらさっさと出ていって!」 「リリー、とっても可愛い名前だね!」 「気安く呼ばないで!」 「あ、じゃあそっちのキミは?」 リリーの話をことごとく聞いていないジェームズに、は唖然としていた。まさか自分に話が振られるとも思っていなかったので、は口をもごもごさせながら俯いた。 「・・・」 「、よろしくね!」 ジェームズは今度はに手を差し出した。 その手を凝視して、はどきっとしてしまう。 実は今まで一度も同年代の男の子と握手をしたことがなかったのだ。 は膝に置いていた手を出しあぐねたものの、戸惑いながらも恐る恐る手を伸ばした。握手なんて社交辞令は、世の中では当たり前のことなのに、彼女にとってそれは初めての体験だった。 ジェームズはそんなの心情など露知らず、ぱっと手を取り、ぎゅっと握った。 「そんなに緊張されちゃうと、逆に意識しちゃうよ」 悪戯にそう微笑まれ、は赤く染まった頬に熱を感じた。だがそのすぐ後、予想していなかった事態に陥る。 「人と挨拶するときは、帽子は取るもんだろ」 さらっと言われたその言葉を合図に、の視界がぱっと広がった。え、と思ったその瞬間にはもう、の頭に帽子はなかった。そして、初めてはその男の子と目を合わせる。さらりと流れる黒髪が揺れ、彼の整った顔立ちが驚きに染まったのが見えた。 「、キミの瞳・・っ」 圧倒されたように言ったジェームズの目には、初めて見るの顔が映っている。 嫌でも目につく、彼女の瞳。その色彩は、野に咲くスミレの花のように淡いヴァイオレット色をしていた。緩く二つに結われたハニーブラウンの髪と、象牙色の肌とのコントラストが、彼女の瞳の色をよけいに際立たせている。 その場にいた誰もが驚き、言葉をなくすものだから、はその沈黙に大きな不安を駆り立てられる。 はこの気味の悪い色の瞳が大嫌いだった。青紫色の目なんて、普通ではない異質なもの。幼い頃から珍しい物を見る目でこの瞳を見物されてきたのだ。だから、誰にも見られたくなかったがために帽子を被り込んでいた。 はまた猫背気味になり、唇を引き結んだ。口を開きかけているリリーに何を言われるか、想像するだけでとても怖い。 「・・・・・・きれい」 ぽつりと呟かれたその言葉に、思わず我が耳を疑った。しかし次の瞬間にはリリーはばっとの両肩を掴み、その拍子に二人の青紫と緑の瞳がかち合った。 「とっても綺麗な瞳じゃない!どうして今まで隠していたのっ?」 「え・・・っ、え?」 「そうだよ!何でもったいぶってたのさ!僕はてっきり、人に見せらんないような顔をしてるのかと思ったよ」 「ジェームズ、お前ひどくねぇか?」 「帽子をいきなりひったくるキミよりマシさ、シリウス」 シリウスはかりかりと頬を掻き、バツが悪そうな顔をしていた。その手にはの被っていたキャスケットが握られている。 予想外の周りの反応に、は困惑してリリーと見つめ合っていた。 「羨ましいわ、すごく綺麗なんですもの」 「・・えっ、リ、リリーの瞳のほうがずっと綺麗だよ!」 思わず少し大きな声を出してそう言うと、リリーは一瞬呆けたが、すぐに目を細めて笑ってくれた。 「ありがとう、でも貴女の瞳も綺麗な色よ。自信を持って」 義父と同じように言ってくれたリリーの笑顔は、とても優しかった。は途端に嬉しくなり、ぎこちなくも笑みを返す。 の義父も、リリーたちと同じようにの瞳を綺麗だと言ってくれる。でも外へ出るたびにじろじろと顔を覗かれ、人々は自分を気味悪がっているのでは、と常々不安に思っていたのだ。だから、なかなか素直に褒め言葉として聞き入れることができなかった。 しかし今なら、今初めて会ったばかりの人たちに言われたのであれば・・。は少し口元を緩め、視線を上げた。 「あのさ、これ」 「・・あ」 「わりぃ。いきなり取っちまって。そんなに驚くと思ってなかったんだ」 視線の先にいたシリウスにキャスケットを手渡され、は首を振った。 たしかに、人に挨拶をするのに帽子を被ったままではとんだ礼儀知らずだ。非があったのはむしろ自分であり、彼ではない。 「いいのっ、気にしないで」 「そっか、俺はシリウス。よろしくな」 「うん・・っ」 伸ばされた彼の手を、はぎこちなく握り返す。小さく微笑んでくれたシリウスの表情は、なんだか優しいものだった。 無意識に彼の整った顔立ちに見惚れているうちに、どこからか響き渡る声がした。 「あと五分でホグワーツに到着します。荷物は学校に届けますので、車内に置いていって下さい」 その声に反応したジェームズとシリウスは、何故かセブルスの腕を掴んで立たせた。セブルスの表情はすこぶる顰められていたが、体は素直に従っているように見える。 「、リリー、早く着替えたほうがいいよ。彼はちゃんと外に出しておくから」 「汚い手で触るな!」 「別に汚くねぇっつの!」 激しく言い合いをしながらも、三人はコンパートメントを出ていった。は急いでトランクから制服のローブを取り出し、リリーと一緒に着替える。真新しいローブは新鮮な匂いがして、なんだかそれだけで少し嬉しくなった。それはどうやらリリーも同じのようで、また目線を合わせては二人して小さく笑い合ったのであった。 |