今日という日は人生最悪、最も不幸な日と言っても過言ではない。
朝は寝坊するし、朝食のコーンフレークにフクロウが突っ込んできて顔やローブがミルクだらけになるし、最初の授業でちょうどわからないと思った質問を振られるし、間違えて答えて先生にネチネチ言われるし、昼食の直前になって謎の腹痛に襲われてトイレに引き篭もってたら昼食を食べ損ねるしもう最悪だ!
こんなにも自分が可哀相に思えた日は他にない。しかもそう思っているのは自分だけで、今も午後の授業へと一人で急いでいるところだ。友人たちはとっくに薬草学の温室へと行ってしまった。
昼食を食べ損ねたからといって寮でお菓子を食べていた自分も悪いとは思ったが、あまりに薄情ではないか。というか確実に太るぞ私。
とにかく私は急いでいた。もうすぐ薬草学の授業が始まる。その授業にまで遅れたら、今度はレイブンクローの得点が減らされてしまうかもしれない。
自分一人が嫌な思いをするなら、「今日は運の悪い日だった」の一言で済むかもしれない。
だが寮の得点を減らされては、それは自分だけの問題ではなくなるのだ。私の勝手な不幸のせいでレイブンクローの評判を落とすわけにはいかない。
べつにいつも寮の得点を気にしているわけではないが、今日は何が起こるかわかったものではない。最善の注意が必要だった。
駆け足で温室へ向かう中、私は裏庭を突っ切って進んだ。
ざりざりと地面を蹴り、もしも遅れた場合のことを考える。
何と言えばスプラウト先生は許してくれるだろうか。普段はおとなしく過ごしているんだ。きっと「お腹が痛くて遅れました」程度の理由でも見逃してもらえるだろう。
スプラウト先生に述べる遅れた理由を頭の中で完成させた、そんなときだった。
私の踏み出した地面が突然落ち窪み、崩れ落ちる。
「・・え、っきゃあ!!」
どすんと大きな音を立てて、私は穴の底辺に尻餅をついた。
・・・落とし穴だ。
幸い穴の深さはほとんどなく、とても浅いものであった。目立った怪我もなさそうだ。
それでも、今日という不幸な日のおかげで嘆いていた私の心を叩き折るには充分だった。
じんじんと痛む下半身に言葉も出ず、私はただやるせない思いで近くの雑草をぶち抜く。
「っ・・・いい加減にしてよ・・っ!!」
こんなふざけた真似をした奴に思いきり酷い呪いをかけてやりたい。
ちらりと見た腕時計に示された時間は授業の開始時間を過ぎており、私は余計に苛々を募らせた。
とにかく、いつまでもこうしているわけにはいかない。
少しだけ痛みの引いた下半身を持ち上げ、私は立ち上がろうと足の裏に力を込めた。
するとどういうことだろう。
私の足はまったく動かず、足の裏を地面にくっつけたままで固まってしまったかのようだった。
足首から上の辺りに力を入れ、必死になって立ち上がろうと試みる。
しかしまた突然地面が窪み出し、あろうことかずるずると穴の深度を深めていったのだ。
「う、うそぉぉぉっ!!!」
もちろんそこに植えつけられたように足が動かない私も、どんどん深くなる穴の底へと引き摺られていく。
遠くなっていく地上の光に手を伸ばすものの、深くなる穴に引き摺り込まれていくばかりで、私はどうすることもできない。
「や、やだ!何でっ?何で穴が深くなってくわけ!?」
沈み込むように地中へと深度を深める穴は、地上から人間三人分くらいの距離でようやく沈下を終えた。
なんということだろう。何故私がこんな目に?
というか深度が深くなっていくだなんて、なんて悪質な落とし穴だろうか。いったいどこのどいつがこんなことを・・。
いつの間にか自由になっていた足を地中から引き抜き、泥だらけになった靴に顔を歪める。
くるりと穴の中を見回すものの、とても狭いうえに木の根一つない。
しかもこの深さだ。一人では確実に登りきることなどできないだろう。
絶望しかけた私は、はっとローブのポケットに入っているモノの存在を思い出し、すぐさまポケットに手を突っ込む。
そうだ。私は魔女なんだ。こんな穴くらい魔法でちょちょいのちょいと・・。
「あれ・・っ?・・・・・・ない・・・ない・・・・・っ杖がない!!」
いつも杖を入れているはずのローブのポケットの中に、愛用の杖がない。
どんなにまさぐってもひっくり返しても、私の杖は出てこなかった。
最悪だ。もう駄目だ。
どうしてこんなときに限って杖を忘れてくるんだ自分・・!
そういえば鞄もない。おそらく地上に落ちているのだろう。
自分自身への腹立たしさをなんとか抑え、こんなときだからこそ冷静になろうと努めた。
光が差す真上の出口を仰ぎ、私はなんとか助けを呼ぼうと声を張り上げる。
「誰か!誰かいませんかー!」
何度か呼びかけてみるものの、辺りに人がいるような気配はない。
常識的に考えれば今は授業中だし、こんなところに誰かがいてくれるはずもなくて。いるとしたら本日最高に不幸な私くらいのもので。
私は嘆息し、その場に座り込んだ。
授業が終わるまで、誰かがこの穴に気づくまで、ただ待つしかない。
思えば今日は本当に散々な日だ。まさかこんな悪質な悪戯にまで引っかかるだなんて。
ああ、今頃スプラウト先生は怒ってレイブンクローを減点してしまっただろうか。
きっと寮のみんなも呆れた目で私を見るだろう。なんて馬鹿な奴だ、って。
静かで狭い穴の中で、私は一度にたくさんのことを考えた。今にも頭がパンクしそうだ。
「もしかしたら、これで終わりじゃないかもしれない・・まだ何かこれ以上の不幸が」
「おーい、キミ!大丈夫ー?」
「今度は寮の得点を減らされるどころじゃなくて、酷い怪我をするとか」
「ねぇってば!聞こえてないのっ?」
「ううんっ・・・むしろ、誰にも見つけてもらえなくてここで死ぬのかも・・」
「・・へーえ。キミ、こんなところで死ぬんだ?」
「え?」
頭上から降ってきた男の子の声に驚き、私は出口を見上げた。
そこには眼鏡をかけた黒髪の男の子がいて、その子は穴の中に座り込む私を覗き込んでいた。
私はようやく助けが来たことに嬉しくなり、素早く立ち上がった。
「よかった!私、さっきこの変な穴に引っかかってしまって、困っていたところなの!」
「あー・・それは災難だったねぇ。でも大丈夫、今出してあげるから」
そう言って彼は杖を取り出し、呪文を唱えて私を穴から出してくれた。
ふわりと元の地上に降り立って、私はようやく安堵の息を吐く。
「本当にありがとう!おかげで助かったわ」
自分を助けてくれた男の子を見つめ、私は目を見開いた。
彼はグリフィンドールの有名人、ジェームズ・ポッターだったのだ。
あまり合同授業で一緒にならないため面識はないが、ホグワーツにいる者のほとんどが彼を知っているだろう。
いつも乱れているくしゃくしゃの黒髪に、悪戯っぽいハシバミ色の目。
こんなに近くで見たことがなかったからなのか、思わずまじまじと彼を見つめてしまう。
「礼には及ばないさ。この穴を作ったのは僕なんだし、僕が助けてあげなきゃと思っただけだよ」
呆然とジェームズを見つめていた私は、思わず彼の言葉を頭の中で反芻させていた。
はて、今彼は何と言ったのだろうか?
「この穴を作ったのは僕」
この一言に私は頬の筋肉を引き攣らせ、信じられない気持ちでジェームズのにやっとした笑顔を見る。
「でもまさかキミが落ちちゃうとはねー。本当はスネイプを落とすために用意してたんだけどなー」
少しだけ肩を竦めてみせるジェームズに、申しわけなさや反省の色はまったくない。
私はさっきジェームズにお礼を言ったことを全力で後悔した。
すべての元凶はこの男だったというのに、何を悠長にお礼なんて言ってしまったのだろう。
自分の愚かさも憎いが、何よりこの怒りの矛先をどこにぶつければいいのかを知った私は、静かに拳を握った。
「でもまぁいいよ。これでどれくらい穴が深くなるかわかったし、スネイプにはまたいつか仕掛けてやろう」
「・・・・」
「それにしても、キミも本当に運がなかったねぇ。っていうか、杖は持ってなかったのかい?だとしたら随分間抜けだなぁ!」
黙って聞いていればべらべらと好きなことを言い連ねているジェームズに、とうとう堪忍袋の緒が切れた。
「・・・ふざけんじゃ」
「へ?」
「っないわよ!!」
私の右ストレートは綺麗にジェームズの左頬に食い込み、彼の眼鏡をふっ飛ばした。
右手の骨が悲鳴を上げてじんじんと痛んだ。だけどなんだか心から清々しい。
ジェームズはといえば、数歩後ずさって呆然と左の頬を押さえている。
私はぎっとハシバミ色の瞳を睥睨し、声を荒げて怒った。
「人をあんな穴に貶めておいて、言いたいことはそれだけっ?謝りなさいよ馬鹿!!」
「・・・・・」
「っていうか、誰が間抜けですって?!人を馬鹿にする前に、自分のしたことを反省するべきでしょうが!」
だいたい、今日の不幸はこれだけじゃなかったのだ。
朝からずっと辛い目に遭って、それでなくとも傷心を抱えていたというのにこの仕打ちだ。酷い、酷すぎる。
黙って目を瞬かせるジェームズを前に、私はつらつらと怒りのたけを吐き出した。
しかし大声で怒ることにあまり経験がない私は、しばらくしてからはぜぇぜぇと浅い息をしていた。
「・・・・とにかく、謝ってちょうだい!」
憤然とした態度でそう言った私に、ジェームズは素直に従った。
「・・ごめんよ。まさかキミがそんなに怒るとは思わなくて、つい調子に乗ってしまったんだ」
俯き加減にそう謝ったジェームズの声が、どことなく申しわけなさを孕んでいた。
とにかく謝罪が一番欲しかっただけの私は、その言葉に頷き、睨むのをやめた。
近くに落ちている彼の眼鏡を拾い上げ、丁寧に差し出す。
「これからは人の迷惑を考えて行動して。じゃないと私みたいに関係のない人間が巻き込まれるわ」
「わかった・・・・・・・なるべく気をつけるよ」
顔を上げたジェームズの表情は、鬱陶しいほどにっこりした笑みを刻んでいた。
「・・・ちょっと」
「何だい?」
「放して」
「ヤダ」
「っ何言ってるの、ふざけないでよ!」
「放さないよ。僕、キミが気に入ったんだ」
「はぁっ?」
眼鏡を差し出した私の両手を握り締め、ジェームズはとんでもないことを言い出した。
気に入った?冗談じゃない!
それでなくとも、もうこんな奴とは係わり合いになりたくないのに!
私は自分の手を取り返そうと躍起になるが、相手は変わらず笑顔のままだ。
「ね、名前教えてよ」
「嫌」
「教えてってば」
「嫌。放してくれたら考える」
「なら放さない」
ぐいぐいと手を引っ張っても、びくともしない。むしろ自分の手や腕が痛くなるばかりだ。
ジェームズはそんな私にはお構いなしに顔を近づけ、耳元で囁き続ける。
その小さめの彼の声音が首筋に悪寒を奔らせ、私は知らず知らずのうちに顔に熱を感じていた。
彼との距離が近すぎる。声が、吐息が、耳に直接降りかかる。
「僕はしつこいよ?だから早く教えたほうがいい」
細められたハシバミ色の目を間近に見つめ、私はとうとう堪えきれなくなった。
私はすぐそばにあるジェームズの足をこれでもかというほど思いきり踏み、強引に手を取り返した。
「いっってぇ!!!」
彼の痛がる声が後ろ背に聞こえたが、私は振り向かず一目散に走り去った。
嘘だ。
私はばくばくと脈打つ心臓を押さえながら、首を振った。
嘘だ。これは違う。
今こんなにどきどきしているのは全力で走ってきたからであって、決して他に理由なんてない。
体中が火照ったように熱を持っているのも、足ががくがく震えているのも、全部あんな奴のせいじゃない。
自分に言い聞かせながら、私はようやく自分が鞄をあの場に置いてきてしまったことに気がついた。
落ちたのは恋の穴だった
そして夕食の時間、ジェームズが私の名前を大声で呼んでいたため、私は大広間には入れなかった。
...end 2009/09/21
(自作:童話ヒロインで5題より)