窓から見えた空は憎らしいほど青く澄んでいて、まるで私の心とは正反対だった。
今吐いたばかりの溜息も、今日何度目かさえわからない。
やらなければいけないことだとか、考えるべきことは他にもあるはずなのに、何もしたくなくて。
ぼーっとした頭の中でぐるぐると回る思考が最後に行き着く先は、ただ一人のことだけだった。




事の起こりは、私がいつも髪を結っているこのリボンだった。
白いレースで紡がれた、母からもらったお気に入り。
大切にしていたこのリボンが、あるとき私の髪を滑り落ちて、悪戯に風に攫われてしまったことがある。
友人が指差す方向へ白いリボンが飛んでいくのを、私は必死になって追いかけた。
ひらひらと舞うそれを追い、何度も手を伸ばすものの、手がリボンに届くことはなくて。
最後に私の手が掴んだものは、目の前に立っていた男の子のセーターの裾だった。

「うわ!っ何だよ、いきなり」
「ご、ごめんなさい!」

背を向けていた彼が私を振り向いたとき、小さく心臓が跳ね上がった。
私が掴んだセーターの持ち主は、あのシリウス・ブラックだったのだ。
シリウスはホグワーツ中の誰もが知る人気者であり、先生方も手を焼く悪戯仕掛人の一人。
そんな目立ってばかりのシリウスと、何の取り得もなくて目立たない自分がこうして話していることは奇跡に近い。
同じ寮に所属していたものの、シリウスと私には接点がほとんどなく、私はこのとき彼と初めてまともに言葉を交わしたのだった。

「どうしたんだい、シリウス」
「いや、こいつがいきなり引っ張ってきて」
「あのっ、ごめんね!私・・っ」

訝るように顰められたシリウスの眉根を見て、私は全身の血の気がすべて大理石の床に吸われていくような感覚に陥った。
しかも彼の隣には常の如くジェームズ・ポッターが佇んでおり、何やらにこにこと笑顔を見せている。

「わー、ったら積極的だねぇ。よもやシリウスのセーターを掴んで引き止めるだなんて!」
「ち、違うの!私はただ、リボンを追ってて・・」
「リボンって・・・これか?」

一人で納得してうんうんと頷くジェームズを無視して、シリウスは床に落ちていた私のリボンを拾い上げた。
わざわざ埃まで払い落として、無言になってしまった私に差し出す。

「飛ばされたんだか何だか知らねぇけど、これからは気をつけろよ」

リボンを受け取った私の頭をぽんぽんっと撫でて、シリウスは微笑んだ。
優しくて、あったかくて、安心させてくれるような、小さく綻んだ笑み。
その笑顔は今まで私が見てきた彼の表情の中で、一番魅力的に見えた。もしかしたら、見る機会がなかっただけかもしれないけれど。それでも私は、この一瞬で彼に惹かれてしまったのだ。
先ほど床に吸われたと思っていた血の気が、すべて顔に集まったかのように私の顔は熱かった。
熱くて苦しくて、心臓がどくどくと脈打っている。
シリウスはその後すぐにいなくなってしまったが、私はその後も夢見心地のままだった。




「・・・・あれから、一回も喋ってないや」

シリウスを好きになってから、もう三ヶ月は経っている。
それなのに、まともに話したのはあのときの一度限り。
他の女の子たちのように、シリウスの友人たちがそうするように、私も話しかけてみたい。
もっとシリウスのことを知りたい。接したい。
そしてまた、自分に微笑んでほしい。

考えれば考えるほど、自分はどれだけ貪欲なのだろうと呆れたくなる。
しかしこればかりはどうしようもなくて、こうして悩んで空を見上げているのだ。



もう一度空を見上げ、かぼちゃに形の似た雲を見つけたとき、ふと窓の下から声が聞こえた。
それはよく聞き知った声であり、私の耳が無意識に求める音だった。
まさかと思い、期待しながら視線を下方向の庭へと移す。そこには予期したとおりの人たちがいた。
ジェームズにリーマス、ピーター。そしてシリウスだ。
四人は何やら呪文の練習でもしているのか、杖を振ってはいろんな呪文を唱えている。
その光景を眺め、胸が高鳴ると同時に、嬉しさが込み上げた。
こんなところでシリウスを見つけられたこと、今彼が笑っていてその笑顔を見れること。
とても満ち足りた、幸せな気分だ。

「楽しそう・・」

笑い合っている彼らを見ていると、そうとしか思えない。
正直に言ってしまえば、ジェームズたちが羨ましかった。
私も、あんなふうにシリウスと笑い合ってみたいし、遊んでみたい。男の子同士って、羨ましいな。
ここまで思ってしまうのは重症な証拠だろうか。自分の思考につい苦笑が漏れた。

風がさっと吹きつけて、城の外に広がる森の木々や木の葉を揺らす。
それと同様、私の長い髪も風に吹かれてさらさらと空中を流れた。
自分の髪を見つめて、しばし逡巡する。

「・・・・・また、話せないかな」

結んでいた白いリボンを解いて、ぽつりと呟く。
今この白いリボンを庭に落とせば、またシリウスがリボンを拾ってくれるかもしれない。
そうすれば、また話すことができる。シリウスと話ができる。なんて素敵なことだろう。
しかしだ、そうなるとこれはわざと自分でリボンを落とすということであり、なんだかずるくはないだろうか。
悪いことではない、はず。だけどなんとなく悪いことを企んでいる気分になってしまう。
だが背に腹は代えられない。シリウスとはどうしても話したいのだ。
私は酷く葛藤した。
シリウスに近づきたいと思う欲望と、それではずるいと思う理性が目まぐるしく脳裏で争う。
だから私は、いつの間にかリボンがその手を離れていったことに気がつかなかった。





「あれ・・?何か落ちてくる」

リーマスの声に、他の三人は上方向を仰ぎ見た。
彼が言ったとおり、空からは白い何かが落ちてきていた。
だんだんと近づくその細長いレース状のものに、シリウスは既視感を覚える。
風に飛ばされないうちにと、手を伸ばして掴み取ったそれは、いつだかが追っていたあの白いリボンだった。

「なーんか、見覚えがあるような・・・」
「たぶんのだ」
「あっ、そうだそうだ!よく覚えてたねぇ、シリウス!」

隣で首を傾げていたジェームズに即答し、シリウスはきょろきょろと辺りを見回す。
もしかしたらまた、がこのリボンを探しているのかもしれない。
少し前に見た彼女の慌てぶりを思い出し、ふっと笑みが零れる。
急に背後からセーターを掴まれたかと思えば、必死の形相でいる女の子と出会ったのだ。
しかも相手がシリウスだとわかった途端の彼女は、急に顔を青くして。そのくせすぐに赤くなったり。
そういえば面白い奴だったなぁ、なんて思う。

「ねぇ、あれじゃない?」
「あ?」

ピーターの指差す窓を見上げると、そこには今にも泣き出しそうなの姿があった。




「・・・・どうしよう」

私は呆然としながら、崩れ落ちないよう足の震えを抑えた。
まさか本当に落としてしまうだなんて。
しかもリボンに気づいた彼らが指を差して自分を見ている。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
あわあわぶるぶると手足を震わせ、私はこれからどうしようかと慌てだす。
すると、そんな私を見つけたシリウスがこちらを振り仰ぎ、彼の灰色の目と目が合ってしまう。
私はもう涙目だった。

「あ・・・・、あの・・、その・・・」

なんとか言葉を探し、声を発するものの、こんなに小さくてはあちらには聞こえるはずもない。
だから、私は次の瞬間に耳朶を打った彼の声にびくりと身を竦ませる。

!」
「えっ・・・?」
「また飛ばされたのかっ?」

窓の下からでも聞こえるように、シリウスは少し大きめの声で私に話しかけてくれた。私の名を呼んでくれた。
その手には白いリボンを握って、私に向かってあの微笑みを見せる。

「気をつけろって言っただろ!」

言葉とは裏腹にその声は優しくて、少し悪戯めいていて。私は声も出せずに心の中で喜んだ。
ぶんぶんと首を上下に振って、なんとか頷く。

「後で渡してやるから、泣くんじゃねぇぞ!!」

今の自分はそんなにも泣きそうな顔をしていたのだろうか。
シリウスの言葉に目を瞬かせたものの、私は声を振り絞って返事を返した。

「・・・うんっ!!」








硝子の靴はわざと落としたの








だってそうすれば貴方が拾ってくれるでしょう?





...end 2009/09/19
(自作:童話ヒロインで5題より)