静かな夜だった。
スリザリンの談話室にいるのは、隅で固まって談笑している女子生徒が数人に、ソファに座る僕と僕の向かいにいるあの人だけ。
もう夜も更ける頃だし人が少ないのは当然と言えば当然のことで、そろそろ皆寝室へと引き上げなくてはならないだろう。
僕は取りかかっていたレポートの最後の見直しをしながら、ちらりと彼女を見つめた。
気づいたらいつの間にかそこにあった、本を読み耽る少女の姿。
ブックカバーに隠されたその本が何の本なのかは知らないが、随分と熱心に読んでいる。
テーブルの上に置いたままの紅茶やクッキーにも手をつけていないのだから、相当夢中になっているのだろう。

レポートに不備がないと確認した僕は目を伏せ、ようやく一息を吐いた。
提出までは時間に余裕があるが、厄介な記述が多かった。早めにやっておいて損はないはずだ。
表には出さず達成感を感じながら、羊皮紙を丸め、羽根ペンとインクを片付ける。
すると正面に座る彼女がふいに大きな音を立てて本を閉じ、視線のかち合った僕をいつになく真剣な眼差しで見つめてこう問いかけた。

「レグルスは、わたしのためなら死ねる?」

真面目な顔をして聞いてきた先輩には悪いが、僕は「この人、頭がおかしいのか」と疑わざるを得なかった。








泡になるのはご免だわ








「・・またどうしてそんな突拍子もないことを?」
「だって人魚姫は王子様を殺せなくて自分から泡になるんだもん!!」
「人魚姫?」

僕は首を傾げ、先輩の口にした「人魚姫」が何だったか記憶を探る。
確かマグルの世界の童話の一つだったような気がする。内容までは深く知らないが、結末は彼女が言ったとおり、王子を殺せず泡になるのだろう。
合点のいった頭でようやく彼女の問いの真意を知り、僕は呆れを含んだ目で先輩を見やった。

「童話とは・・また随分と幼稚なものを読んでたんですね」
「いいじゃないべつに!読んでみたら結構面白いんだから!」

唇を尖らせて拗ねたように言った先輩は、本を片手に僕の隣へと腰かけた。
「どうせこんな幼稚な童話、レグルスは知らないんだもんねー」とか言いながら。
ええ、知りませんとも。それが何か。


ぱらぱらとページを捲って、僕にもよくわかるよう、先輩はかいつまんで話の内容を説明していく。
その話によると人魚姫は六人姉妹の末っ子で、初めて海の上の世界を見た誕生日の日、偶然助けた王子に恋をするらしい。

「一目見たその日に恋をするだなんて、恋愛が絡んだ童話の典型ですね」
「そんなこと言わないの!」

人間に恋をしてしまった人魚姫はどうしても王子に会いたくて、自らの声と引き換えに、人間の足が生える薬を海の魔女にもらう。
もし王子が他の誰かと結婚するようなことになれば、自分は海の泡となって消えてしまうと警告されたにもかかわらず。

「この女は馬鹿ですか?何で声と引き換えに足をもらうんです。声がなくては王子と会話もできないのに」
「はいはいそうねー、でも静かに聞いてちょうだい」

結局地上にやってきた人魚姫は王子と城で暮らすものの、声を失ったために嵐の日に王子を助けたのは自分だと言うことができず、王子も人魚姫が命の恩人だとは気づかない。
そして皮肉なことに、王子はやがて浜辺で出会った娘が命の恩人だと勘違いをしてしまう。

「だから言ったんです。声がないと会話が」
「黙って聞きなさい!」

何故怒られなければいけないんだ。
先輩に渋々頷いてみせると、「最後まで聞きなさい」と諭された。

とうとう王子とその娘の結婚が決まり、人魚姫も泡とならざるを得ない状況になってしまった。そんなとき人魚姫の前に現れたのは人魚姫の五人の姉たちだった。彼女らは自らの髪の毛と引き換えに、海の魔女にもらった短剣を差し出し、これで王子を殺すよう説得する。その血を浴びれば元の人魚の姿に戻ることができるから、と。

ここで僕は「なぜ人魚姫は声を代償にしたのに、姉たちは髪の毛なんかで済んだのか」と文句を言いたくなったが、先輩の視線が痛かったので何も言わない。きっと人間の足が生える薬と短剣とでは価値が違うんだろう。たぶん。

しかし人魚姫は愛する王子を殺すことができず、自分から海に飛び込み、その身を泡と変えてしまった。

「・・・っていう悲しくて可哀相なお話なの」

沈んだ調子で説明を終えた先輩は「どうよ!?」という目で僕を見た。
いや、そんな目で見られても何とも言えないんですけど。

「・・正直に言わせてもらえば、これはどう考えても人魚姫が悪いんじゃないですか」
「えぇー?!何でっ?」
「人魚だという自分の立場も弁えずに人間に恋をして、自分から魔女にまんまと声を渡し、最後のチャンスも自分で投げ出して自分で泡になったんですから。これのどこが可哀相なんです?ただの自業自得じゃないですか」
「・・・・・レグルス、屁理屈言いすぎ」

不満げにそう言った先輩は本をテーブルに戻し、僕に寄りかかった。
さらさらと先輩の髪が僕の首を撫でて、少しくすぐったい。
よくよく談話室を見渡してみれば、隅で談笑していた女子生徒たちの姿はなく、僕たちは二人きりになっていた。
彼女が甘えてきた理由を悟り、ならば自分も遠慮はいらないと勝手に納得することにした。
肩に乗せられた頭に手を添えて、指先には柔らかな髪を絡める。すると先輩は思い出したように視線を上げた。

「そういえば、結局どうなの?」
「何がですか?」
「レグルスは、わたしのためなら死ねる?」

伏せられぎみになったの瞳に憂いが帯びたのを、僕は見逃さなかった。

「僕がもし人魚姫の立場になったなら、僕は迷わず貴女を殺して、すぐに僕も死にます」
「・・・え?」
「一人で泡になるなんて、ご免ですからね」
「そ、そっか・・」

頷いたは僕から視線を逸らすように僕の胸に顔を押しつけた。
そんな姿が言いようもないほど可愛らしく思えて、僕は口元が意地悪く歪むのを抑えられなかった。

「『貴女のためなら、僕は死さえもいとわない』・・くらい言ってほしかったんですか?」

のつむじに唇を寄せると、ふんわりと髪の香りが漂ってくる。
僕はこの香りが好きだ。傍にあると安心させられる。

「ううん・・どちらかが残されるくらいなら、レグルスの言ってくれた答えのほうが嬉しいなって思った」

わたしも、ひとりで泡になるなんてご免だから。
悪戯めいた微笑みを浮かべてそう言った彼女に、僕は満足した笑みで応え、そしてゆっくりとキスをした。





...end 2009/09/19
(自作:童話ヒロインで5題より)