「だから、何でそうなるんだよ!」
「シリウスが悪いんでしょ!」
「俺は、今更そんな話を蒸し返すなって言ってんだ!」
「つまり、自分が悪いなんて思ってないってことでしょっ?シリウスはいっつもそうだもんね!」
「何回も謝っただろうが!これ以上どうしろってんだよ!?」

リビングで怒鳴り合う二人の声は容赦なく響き、僕のいるキッチンにまで丸聞こえの状態だった。
懲りない人たちだ。これでもう何度目の喧嘩だろう?幼い頃のおもちゃの取り合いから、最近のどうということもない小さな喧嘩まで。幼い頃からの付き合いを考えれば、その数は数えしれない。
蚊帳の外から見ているだけの僕にとっては、それさえも羨ましく思えてしまう。なんだかそれが不愉快だった。
淹れたての紅茶を載せた盆を両手に、僕は一人深く溜息を吐いた。
僕はこれから一生、ずっとこんな気持ちで生きていくのだろう。




「二人とも、そろそろ落ち着いて下さい」
「あっレグルス!聞いてよ、シリウスったらひどいんだから!」
「説明ならいりませんよ。キッチンまで筒抜けでしたから」

テーブルの端に二人分の紅茶のカップを置き、僕は呆れた顔でを見た。見飽きてしまうほど昔から見てきたの風貌は、もうすっかり一人の女性となっていて、平気で一緒にお風呂に入っていたあの頃とは全然違う。
年齢とともにを見る目を変えた僕の心情などお構いなしに、彼女は僕に抱きついてくるけれど、正直理性との葛藤が厳しいからよしてもらいたい。綺麗な柳眉を顰め、頬を膨らませている表情は、昔と何も変わらないあどけないものだが、それでもつい意識をしてしまうのだ。
ふと香る甘い肌の匂い、抱き締める腕の細さや柔らかな体躯・・今にも抱き締めてしまいたいと思うのに。
両腕を僕の右腕に絡めたは、自分の婚約者である僕の兄をキッと睨みつけてこう言った。

「もうシリウスなんか知らない!婚約も破棄してやるんだから!!」
「はぁっ!?」
「私、レグルスと婚約する!」

ぎゅうっと僕の体にしがみつくを見下ろし、僕は込み上げてくる感情を必死に押し殺した。本当に、人の気も知らないでこの人は。
彼女の言ったことは真っ赤な嘘。そんなことはわかっていた。
僕の愛する幼馴染は、兄の婚約者であり最愛の恋人。二人が互いを強く想い合っているということを、僕はずっと昔から痛いほどに知っている。そもそも、くだらない昔話が蒸し返されたことから始まった口喧嘩だ。そう長くは続かない。それもわかってる。

「お前な、馬鹿じゃねぇの!無理に決まってるだろうが!!」
「無理じゃないもん!!結婚に必要なのは愛よ!愛があれば結婚できる!」

ねー、レグルス?なんて上目遣いに答えを窺うものだから、僕はすごく泣きたい気持ちになった。
ああ、何でこの人はこんなにも残酷なことをするのだろう?

「・・・本当に?」

気づけば、思わず口が動いて喉から声が出ていた。

「え・・?」
「本当に、僕と婚約してくれるんですか?」

をぐいと引き寄せて、その両肩を掴んだ。思っていたよりもずっと華奢で、ずっと柔らかい。それがなんだか少し怖かった。
そして、真正面から見つめた彼女の驚きに染まった瞳が、ようやく僕を正気に返らせる。大鍋で頭を殴られたような衝撃に、自分でも目を見開いて驚いた。は無意識のうちに怯えているようだった。無理もない。突然僕の様子が一変して、こんなにも顔を近づけているのだから。すぐ近くでシリウスの怒声が聞こえた。そろそろ本当に殴られるかもしれない。

「あの、レグルス・・・っ?」

困惑したように柳眉を下げ、ほんの少し震えているの頬を撫で、僕は唇を歪めた。無理矢理にやったから、変な顔になっているかもしれない。でも今はそれでもよかった。どうでもいい。

「なんて、冗談ですよ」
「え?」

拍子抜けしたように肩の力を抜いたの頬から指を離し、僕は数歩後ろへ下がった。もっと触れていたいと名残惜しむ気持ちを抑えつけるために、僕は目を細めて嫌な人間の笑顔を作った。

「僕はシリウスと違って悪趣味じゃないんです。少なくとも、のような人とは婚約しません」
「ちょ、ちょっと!それどういう意味よ?!」
「そのままの意味ですよ。あなたにはシリウスくらいがお似合いです」
「レグルスっ、てめぇ俺まで貶してんじゃねぇ!」
「痛い」
「痛い、じゃねぇよ!お前はなぁ!」
「こらシリウス!叩いちゃ駄目でしょーが!めっ!」
「俺は犬か!」

ほっとしたように、楽しそうに笑い出す僕の愛している人。その笑顔を見ていたいから、僕はこのままでいられる。嫌味と皮肉で恋心を覆って、押し込めて、隠して。僕は一生それを繰り返す。
いつの間にか笑い合っている僕の最愛の人と僕の兄をそれ以上は見ていられず、僕はそっとリビングから出て、自室へ戻った。途中でクリーチャーが声をかけてくれたけど、首を振ることしかできなかった。冷めてしまった紅茶のことも、頭からすっぽりと消え失せていた。




扉を閉めて、そこからは一歩も動かなかった。ずるずると扉に背を押しつけて床に腰を下ろすが、もう溜息も出てこない。息を吐くのも億劫だ。抱え込んだ膝に額を預けて、しばらくはぼーっとしていた。

僕はが好きだ。だけど、が好きなのはシリウスで、の婚約者もシリウスだ。叶うはずのない恋だということも、ずっと前から知っていたはずなのに。
・・・苦しい。苦しくて堪らない。




あなたが幸せならそれでいい。そんなことを思えるほど僕は大人じゃないようだ。




...end 2009/10/24